木喰仏

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 文化3年(1806)冬、丹波国諸畑(現南丹市八木町諸畑)清源寺の玄関先に、頭髪や髭が白く伸び、粗末な衣を身にまとった一人の老いた僧が立っていました。聞くところによると、仏像一千体を彫りながら全国を回遊する途次とのこと。爾来、その僧は5ヶ月間清源寺に滞在し、十六羅漢像をはじめとする数々の仏像を彫り上げました。木喰上人と清源寺の不思議な出会いでした。(参考:清源寺十三世仏海和尚撰「十六羅漢由来記」)
 
 木喰上人 (1718〜1810)
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 木喰上人は甲斐国(現山梨県)に生まれました。22歳で仏門に入り、45歳の時、木喰観海と出会い「木喰戒」を受けたと伝えられています。62歳になって、日本廻国、千体仏の造像を発願し、全国各地を行脚しながら神仏像を彫り続けました。文化3年10月丹波国清源寺に至ったとき、木喰上人はすでに90歳を迎えようとしていました。上人は同寺で一千体造像の満願を達成します。その後、二千体造像の願を立て旅を続けますが、文化7年(1810)、93歳でこの世を去りました。木喰上人の仏像は庶民的な素朴さと滑稽さを醸す独特の仏像で、日本の仏教美術の中でも異彩を放ています。
 
 木喰仏発見 (写真:清源寺で木喰仏調査をする柳宗悦。版画家棟方志功も同行している。) 
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 木喰上人は江戸時代の僧侶ですが、上人の彫った仏像の評価が広く全国に広まるのは、柳宗悦(1889〜1961)の木喰仏調査によって紹介されるようになってからのことです。柳宗悦は、版画家棟方志功を世に送り出したことで知られる美学者、民藝運動の主催者です。柳は偶然知人宅で見た「木喰仏」に惹かれその全国調査を行いました。柳宗悦の優れた感性、美意識によって「木喰仏」は広く世人の知るところとなっていきました。
 
 金龍山清源寺 (写真:清源寺羅漢堂)
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 清源寺は、ェ徳2年(1045)に天台宗の寺として建立されたと伝えられています。その後、曹洞宗の法を継ぐ和尚が、文明13年(1481)に再興し、以降曹洞宗の寺に改められました。木喰上人が全国行脚の途次、文化3年(1806)に清源寺に立ち寄り、十六羅漢像をはじめとする28体の仏像を残しています。(南丹市文化財)
場 所:南丹市八木町諸畑大谷口102
交 通:電車では、JR嵯峨野線八木駅下車 タクシーで約15分
    お車では、京都方面から→京都縦貫道路八木東IC下車約15分
         綾部方面から→京都縦貫道路八木中IC下車約15分
問合せ:清源寺  0771-42-3743 (拝観には事前に連絡が必要)